授業も板書も苦手だった少年が魅せられた漢字

「『ビャンビャンメン』って読むんですよ」。紫藤さんが壁に貼られた「書」を指さして教えてくれました(下の写真参照)。「中学生で不登校になってフリースクールに通っていたのですが、そこの書初め大会でこの漢字に出会いました。なんだか鈍い衝撃がありました。私は漢字を覚えるのが苦手だし、当時は興味すらなかったので、シンプルにああいう字を書いてみたいなと思いました」

 

紫藤さん作「ビャンビャンメン」、この「ビャン」の字の画数はなんと57画

こんなに難しい文字に興味を持つなんて、どんな少年時代だったのでしょうか。実は小学校に入学して間もなく、教室でみんなと一緒に座って授業を受けることができず、廊下に出て行ってしまうような児童だったそう。そのまま技術員室へ行って技術員さんが作った工作を見たり、職員室や保健室で先生とおしゃべりをしたり。彼の特性を理解する先生が多く、「教室へ戻りなさい!」と言う先生はあまりいなかったそうです。

それでも高学年になる頃には、しっかりと座って授業を受けられるようになりました。ノートを取ることがとても苦手だったので、ほとんど板書をせずに暗記をして、テストでは70点以上とれていたとか。小学校を卒業し、いよいよ中学校に入学。しかし1年生の夏休み明けから不登校になりました。

 

始めに打ち込んだのはNゲージ、もともとは「鉄道オタク」

「私は中学校の試験で思うようにいかず自信をなくしました。好きな部活はないし、授業もよく分からない、友達ともなかなか交流ができず、学校へ行くことをやめました」と紫藤さん。中学校は次の進路につなげるための勉強をする場。小学校とは違う空気を敏感に感じ取ってしまったようです。

学校をやめてから時間がたくさんありました。そこでのめり込んだのはNゲージ。     家の自分の部屋に300cm×90cmのジオラマを作りました。電車に乗るのも好きで、車窓からの次々と変わっていく風景を見るのも好き。大好きな電車のこととなると、紫藤さんの話が次から次へ止まりません。なるほど、もともとは鉄道に打ち込む「鉄道オタク」だったのですね。

その頃に通っていたフリースクールでは、書初め大会がありました。いよいよそこで「ビャンビャンメン」に出会います。その漢字に魅せられた紫藤さんは、さっそく地域の習字教室を人づてに探しました。巡り合ったのは、いつも褒めてくれる優しいおばあちゃん先生。月に一度ある「日本習字」の段級位認定では順調に進級していきました。「学校のテストの点や成績は上がらないけれど、習字では人に認めてもらうことができる。習字を始めてから自信がもてるようになりました」

 

「習字」から「書道」へ、漢字オタクの変遷

高校は書道部がある神奈川県立横浜明朋高等学校に進学しました。不登校などワケアリの生徒が少なくなかったからか、生徒に寄り添う先生が多かったそうです。書道部の顧問の先生は厳しく、あまり褒められた覚えがないとのこと。でもそれが良かったのか、神奈川県高等学校総合文化祭では県3位を受賞しました。書道部の部長も任されて、たくさんの経験を積むことができました。

神奈川県高等学校総合文化祭にて堂々の県3位

中学生まで紫藤さんが学んでいたのは「習字」。「日本習字」の原田観峰先生が書いた「書」をお手本にしていました。高校生からは中国古典の「書」を専門的に学びました。先生のお手本から離れて古典等を頼りに学んでいき、表現の世界へと歩みだすのが「書道」なんだそうです。

紫藤さんが持っている中国古典の専門書がずらり
書道中の紫藤さん、ゾーンに入ってる?

「私はひらがなよりも漢字の方が好き、いわゆる漢字オタクです。異体字とか創作漢字の探求も面白いので、いろんな漢字を見たり書いたりしていきたいです。もっとニッチなことを言うと、字そのものよりそれを構成している線も好きです。さまざまな線の微妙な違いを発見したり、それを表現したりするのが面白いです」

紫藤さんの作品、ペンで書いた文字はカリグラフィー(文字を美しく見せるための西洋式の手法)に近いかもとのこと
今まで使ってきた筆はだいたい100本ぐらい、その中の約40本を見せてくれました

 

書道教室を開講して約一年、人とつながるツールとしての「書」

紫藤さんは現在、二松学舎大学の2年生。文学部中国文学科書道専攻に在籍し、さまざまな書体や書の歴史について学んでいます。読み書きが苦手な学習障害(LD)があるため、課題やレポートをこなすことが難しく、大学の合理的配慮の申請をしました。それでも、単位を取っていくのはとても大変です。それに本当はもっと漢字を勉強したかったのにその専門の教授が退官してしまい、探求することができなくなりました。とても悩みましたが、今年度いっぱいで休学する予定です。

それでも良いご縁があり、書道教室を約1年前にスタートさせました。六浦にある大人と子どものアート教室「アトリエにょきにょき」の部屋をお借りしています。月に1度の教室を6カ月続けるコースの他に、イベントや単発の教室も開いてきました。金沢区の「街の先生」に登録をする予定もあり、これからも幅広く活動していくそうです。

「書道は私が唯一自信を持ってできること。その書道を通してこれからもたくさんの人とつながっていきたいですし、なにより人に教えるのが楽しいです。教えていると自分の勉強になる、鍛錬の一つにもなります」と紫藤さん。来年度、大学を休学している間も、書道教室を続けていくそう。これからは半紙だけでなく、扇子やうちわ、色紙、風鈴、七夕飾り等に書く講座も考えており、アイデアがどんどん湧いてくるそうです。「今はスマホで調べれば簡単に答えが出せますが、書道では答えがすぐに見つかりません。自分で悩んで試行錯誤することも、楽しみの一つにしていきたいです」

「アトリエにょきにょき」での書道教室の様子、生徒のみなさん全員が同じ漢字を練習するのではなく、それぞれの生徒さんが書きたい漢字を練習し、紫藤さんが一人一人に寄り添った指導をしてくれます

好きな書道を通して人や社会と関わり、少しずつ自信を積み重ね前向きに生きていく紫藤さん。子どもの頃から苦手なことはたくさんあるけれど、好きなことや興味があることはすぐに集中して打ち込むことができるそう。紫藤さんだけでなく誰しもが、苦手なことを嫌々やるよりも、好きなことを頑張りたい。その方が、モチベーションや自己肯定感を高める近道になるのではないでしょうか。

「好き」に打ち込む人であれ!

 

写真・文:杉原智子

 

Information

「アトリエにょきにょき」

〒236-0037 横浜市金沢区六浦東1-20-6

Eメール:nyokinyoki@gmail.com

電話番号:045-883-3834

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